更級日記

更級日記『門出』のわかりやすい現代語訳

2020年9月17日

菅原孝標の娘が書いた『更級日記』の冒頭部分。
夫の死後に昔を振り返って書かれたとされています。

この時点で13歳の少女だった作者は、
父の仕事の移動にともない上総の国(今の千葉県)から都へ行くことになりました。

物語が読みたくてたまらない、都に行けば物語がたくさん読めるのだと、都行きを、とても楽しみにする一方、住み慣れた土地から離れるのも、とても寂しいのです。

はじめに

更級日記 門出 現代語訳

私の自己紹介をしておくわね。

私は、平安時代のちょっとした貴族のお姫様。
名前すらも後の世には伝わらなかった「菅原孝標の娘」。

貴族といっても中流階級。
田舎に赴任したお父様について、田舎暮らしをしていたの。

私は物語がとっても好きで、いろんなお話を読みたいと思っていたのだけれど、私の時代は本を手に入れるってたいへんだったのよ。

なにしろ、全部手で写すのだもの。

ただ、物語が読みたくて読みたくて、
そのために都に行きたく行きたくて。

そんな女の子だったのよ。

物語なんて手に入らない田舎から、
やっと都に行けるとわかったとき嬉しかったわ。
でも、住み慣れたところを離れるのは悲しくておセンチになっちゃって・・・。

文学少女の私らしかったかな。

そのころからのこと、振り返って書いてみたの。
読んでもらえたら嬉しいわ。

東路の果て

更科日記 門出 わかりやすい現代語訳

『更級日記』門出 の原文

東路の道の果てよりも、
なほ奥つ方に生ひ出でたる人、
いかばかりかはあやしかりけむを、
いかに思ひ始めけることにか、
世の中に物語といふもののあんなるを、
いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに、
姉、継母などやうの人々の、
その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、
いとどゆかしさまされど、
わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、ひとまにみそかに入りつつ、
「京にとく上げたまひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せたまへ。」
と、身を捨てて額をつき、祈りまうすほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出して、いまたちといふ所に移る。

『更級日記』門出の現代語訳

京の都から遠く離れた東に向かう道の果て、それよりさらに東。
そんなものすご~い田舎で生まれ育った私は、どんなにださかったことかしら。
それが、どうして物語のことをあんなに思い始めたのか・・・。

世の中には物語というものがあるんですって。 どうにかして見たいわ。

そう思い始めたらもうたまらない。
物語のことばっか思いながら、することもない昼間も、夜更かししちゃってる夜も。
お姉さまやお母さまなんかが、
あの物語のこと、この物語のこと、それから光源氏さまのことなど、
ところどころ語ってくれるの。

そういうのを聞いていると、もう見たい知りたい気持ちがどんどんふくらんでいくのよ。
なのに、すらすらと物語を語ってほしいと私が思うようには、お姉さまもお母さまもすっかり空で覚えてはいらっしゃらないの。

更科日記 門出 わかりやすい現代語訳

もうじれったくてじれったくて、とうとう等身大の薬師如来様の仏像を造っていただいたの。
そして、手を洗い浄めて、人に見つからないように、そうっと薬師如来様のお部屋に入ってお祈りしていたの。

どうかお願いです。 早く京の都に上らせてください。 京の都には物語がたくさんあるそうです。 都にあるありったけの物語を、どうか私に見せてくださいませ。

一生懸命に額を床につくくらいひれ伏してお祈りしていたのよ。
そうしていたら、13歳になるころ、とうとう都に上ることができるようになったの。

お父様のお仕事の都合なのよ。
お父様のお仕事が京都になったってことなの。

都に行ったら物語が読める!
と思ったら嬉しくてたまらなかったわ。

でも、住み慣れたところを離れるのはちょっと悲しかったわね。

まずは9月3日に出発して、いまたちっていう所に移動することになったの。
このころは、どの方角が吉なのかってすごく気にしたの。
だから、よい方角になるように、いったん別のところに移ったりしていたのね。

縁起かつぎではあるんだけど。
どの時期に、どっちの方角に行くのかってものすごくだいじなことだから。

とうとう出発の日がきて・・・。
これまでずうっと遊び慣れたきた所ともお別れ。

みんなどんちゃん騒ぎしていたわ。
でも私は泣いていた・・・。
だって、家の中が丸見えになってしまうほどにおうちを壊してしまっていたから。
更科日記 門出 わかりやすい現代語訳
いよいよ車に乗るという時には、
あたり一面すっかり霧が立ち込めていた。
日暮れ時の出発だったの。

私が振り返っておうちのほうを見たら、
薬師如来様がぽつんと立っていらしたわ。

人目をしのんでお参りした薬師如来様よ。
額を床につけて、熱心にお参りをしていたおかげで
私の願いをかなえてくださった薬師如来さまなのに、
この場所にお見捨てして行かなければならないなんて・・・。

そのことが悲しくて、私は人知れず泣いたのよ。

更級日記 門出 現代語訳

『更級日記』あづまぢの果て あこがれ 門出 の解説

あこがれの都に行けることになったのに、 慣れ親しんだ土地とのお別れは、やはり悲しいのですね。 13歳という多感な時の経験でもあります。この時の大きな気持ちのゆれが、後々の執筆の原点にもなったのでしょう。

あづま路の道の果てよりもなほ奥つ方

「あづま路の道の果てよりもなほ奥つ方」
というのは、上総の国(今の千葉県南部)のこと。
都からは遠く遠く離れています。

現代は東京が日本の首都で大都会ですが、
当時の都は京都。

関東地方は、京都からみたら、ど田舎だったんです。
ですから、文化も伝わりにくい。

「都には、おもしろい物語があって、
存分に読むことができるそうよ。
私も都に行きたいわ。」

そんな願いを持っていた作者が、ついに都に上る日がやってきました。

印刷技術などない時代ですから、
物語も人が書き写して回し読みをしていました。
当然数は少なくて、とっても貴重なものだったんです。

都まで行かなければ、最新流行のベストセラー小説を読むことができないのも納得ですね。

 

門出する

この時代、「旅立ちに先立って吉日を選び、いったん基地の方角にある仮の所に移る」
ということがされていました。
作者は、その風習にしたがって、いったん「いまたち」という所に移ったのです。

何事も占いで大切なことが決められていた時代です。

この方違え(かたがたえ)という吉方位を調べる方法。
現在の九星気学に引き継がれています。

▶ わかりやすい九星気学のページ

▶ 九星気学の計算方法

平安時代の日記文学

女流文学が花開いた平安時代。
こぞって日記文学が女性の手によって書かれました。

このころの日記は現在とは違って、
昔のことを振り返って書いた自伝小説的なものでした。

こちらの『更級日記』もその例にもれません。

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